第1節 省中央部
2006年10月29日~11月2日安徽省都合肥市から長江まで南下し、長江沿いに南京市まで観光旅行をしました。
経路の名所旧跡で獅子型1組:抱鼓型17組:箱子型6組:門枕6組を見ました。
合肥市
画像1:省都合肥市の明教寺山門 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
三国志の一方の雄:曹操がこの地方を占領した時四回とも指令所に
した所に建つ寺。
画像2:明教寺山門の托日型門墩。(鼓釘が有りません。)
画像3:山門の門墩
草木の茂った岩場に立った鳳凰が彫られています。
画像4:北宋時代の高官包拯を祭った包公祠の正門
画像5:包公祠の門墩
繍球を囲む三匹の獅子が彫られています。
画像6:李鴻章の故居
李鴻章は清朝道光年間に国家官僚採用試験“科挙”を上位で合格し
高級官僚資格“進士”の位を得ています。
李鴻章は日清戦争講和会議で中国側代表を務めた人です。
画像7:李鴻章故居の門墩
繍球を囲む三匹の獅子が彫られています。
桐城市
省都合肥市の100Km南に春秋時代からの文学都市桐城市があります。
画像1:文廟の門楼
文廟は伝統的な建築で桐城派文学の中心です。
画像2:門楼の抱鼓型門墩
画像3:桐城文廟の第二門大成門
画像4:大成門の獅子型と抱鼓型門墩
この二つの門墩はいずれも元来あった台座型門墩の上に近年獅子と
太鼓を乗せたのではないかと疑っているのですが?
画像5:文廟の西門楼
“桐城派文物陳列館”の看板が掛けられています。
近年再建されたものと思われます。
画像6:西門楼の門墩
基座には松樹の下に二匹の鶴が、鼓座には海原を走る龍が彫られて
います。門墩も近年作られたと推測します。
画像7:保存された箱子型門墩
安徽省にはこのように長い台座型門墩があります。
1私は“安徽型台座型門墩”と命名しています。
画像8:収蔵室の出入口
ここには“安徽型台座型門墩”が設置されています。
桐城市では文廟以外にも門墩がありました。
画像1:左忠毅公祠(所在:桐城市北門街)
明朝万暦年間の進士で左僉都御史左光斗の祠
画像2:左忠毅公祠の門墩
太鼓には繍球を囲む三匹の獅子が、鼓座には唐草が、基座には草花
に遊ぶ龍が彫られています。
門墩は近年の作品と思います。
画像3:左忠毅公祠の東門
ここの門墩は基座に唐草が彫られているだけで、正門の門墩に比べ
ると簡素です。
この門墩も近年の作品と思います。
画像4:張小宰相の墓の門(所在:桐城県龍眼山)
清朝康熙年間の進士で保和殿大学士兼軍機大臣張廷玉の墓
画像5:墓の門の門墩
鼓座に海原を走る龍が、基座には二匹の草龍が彫られています。
この門墩も近年の作品と思います。
安慶市
安慶市は桐城市を60Km南下すると長江の港町として古くから栄えた所です。
画像1: 迎江寺
長江北岸に長江の安定を祈願して北宋時代974年に創建された寺
画像2:山門の抱鼓型
模様が彫られていない簡素なものです。
門扉回転軸を受けておらず、門飾として置かれています。
画像3:市博物館
迎江寺の隣に立つ市博物館
清順治十六年(1659)に慈雲閣として創建された建物
画像4:市博物館の抱鼓型と台座型
中央出入口に抱鼓型門墩、両脇出入口に台座型門墩が設置されて
います。
画像5:関南清真寺
画像6:清真寺正門の抱鼓型
模様も彫られていないく、形も簡素な門墩です。
画像7:関南清真寺第二門
抱鼓型門墩が見えます。
画像8:探花第
関南清真寺の隣に建っている建物です。
抱鼓型門墩が飾りとして設置されています。
近年作られたものと思います。
画像9:太平天国王府
画像10:王府正門にあった抱鼓型
模様が彫られていない簡素なものですが堂々と迫力のある門墩です。
池州市
安慶市の対岸に池州市があります。
唐の詩人杜牧が詩の中で「酒屋何処に有りや 牧童遥かに指す 杏花村」と呼んだとされる所で托日型門墩1組を見ました。
画像1:古井文化園
観光地とし開発されたのでしょう。美味しい水の井戸が在る酒造所
です。
画像2:門の托日型門墩
画像3:台座型門墩に托日型門墩の上部を接着したのではない??
馬鞍山市
安慶市から200Km長江を下ると李白が船から月を掴もうとして河に落ちて死亡した馬鞍山市があります。
画像1:李白記念館 1896年建設
画像2:正門に据えられた抱鼓型門墩
抱鼓型に見えますが、門枕に太鼓を飾りとして乗せたようです。
画像3:李白記念館翰林邨の門
画像4:翰林邨台座型門墩
画像5:李白記念館酌霞軒の門
画像6:酌霞軒の台座型門墩
画像7:唐李公青蓮祠
李白を記念して唐元和年間(806~820)に創建され、現在の建物は
清光緒三年(1877)に再建されたものです。
画像8:青蓮祠正門内側
ここには低い箱子門墩が使用されています。
第1節 省中央部 終