第3節 大理市喜洲鎮
喜洲鎮は大理古城の北10km、洱海の西岸沿にあります。
白族の集落で昔から商才に長けた人材が多く、宋代から商業が発展し巨万の富を蓄えた豪商を輩出し明清代の町割りと当時の古い豪華な邸宅が現在もよく保存されている村です。
4000m級の峰々を従える蒼山の東に横たわる洱湖の西湖畔にある喜洲鎮。
見渡す限り空豆畑と麦畑に囲まれています。
喜洲鎮を取巻く空豆畑(東→西)
こんな片田舎でも文革の嵐が吹き、豪華な邸宅ほど破壊がひどく、門墩は台座の部分から壊されて無くなっています。
画像1:市坪街93号の外観 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
民国時代1912~49年建設の邸宅
正門は道路からは直接見えない造りになっています。
手前の白い壁に沿って左に曲がり、右に折れた左側の壁に正門は
作られています。
写真では一人で歩いている人の黄色い壁が正門を外部から見えな
くしています。
この壁を“影壁”と言い、大邸宅の門前に設けられています。
画像2:市坪街93号の正門の門墩跡
ここには以前どんな門墩が有ったのだろう?
画像3:市坪街120号の外観
民国時代1912~49年建設の邸宅
画像4:市坪街120号の門墩跡
壁の様子から高い門墩があったのでは?
画像5:市坪街119号の外観
民国時代1912~49年建設の邸宅
画像6:市坪街119号の門墩跡
中の方まで壊され門扉軸は木の台で受けらている?
獅子型
獅子型31組の中で特徴的なのを紹介します。
獅子型の中には原型を想像しにくいほど破壊された物もあります。
画像1:大界街32号の門
宣統二年(1910年)建設の邸宅
画像2:大界街32号の獅子型
画像3:市上街82号の門
民国時代(1912~49年)建設の邸宅
画像4:市上街82号の獅子型
台座には葉っぱの茎?を銜えて疾走する兎が彫られています。
画像5:染衣巷33号の獅子型
民国9年(1920年)建設の邸宅
画像6:染衣巷33号の獅子型
台座の正面には瑞雲頭が彫られています。
画像7:厳家宗祠の門
清代の建設
画像8:厳家宗祠の獅子型 (高15cm:幅18cm:長25cm)
獅子型の中には蹲踞した獅子と寝そべった獅子の二種類がありました。
まずは蹲踞した獅子型紹介します。
殆ど頭部が壊されていました。無傷の門墩は数組でした。
画像1:大界巷21号の門
清朝の進士趙廷俊が道光十九年(1839年)に建設した邸宅
画像2:大界巷21号の獅子型
台座の正面に瑞雲頭・側面に交差する蔓草が浅浮彫されています。
画像3:市戸街15号の門
清朝の進士張仕鋥が光緒6年(1880年)に建設した邸宅の獅子型
画像4:市戸街15号の獅子型
台座の側面に草花が線彫りされています。
画像5:大界巷37号の門
民国十四年(1925年)建設の邸宅獅子型
画像6:大界巷37号の獅子型
画像5:市坪街121号の門
民国時代(1912~49年)建設の邸宅
画像5:市坪街121号の獅子型
台座の正面に瑞雲頭・側面に蘭が線彫りされています。
【注】清朝の進士:中国の官吏登用試験“科挙”の合格者中
上位3名の尊称
寝そべった獅子型を紹介します。
壊されていません。蹲踞した獅子型より身分が低いので文革の時破壊の対象にされなかたのかな??
画像1:富春里15号の門
民国時代1912~49年建設の邸宅
画像2:富春里15号の獅子型 (高:33cm 幅:22cm 奥行26cm)
内側には疾走する馬・正面には振り向きながら走る麒麟が彫られた
立派な台座の上に伏せています。
画像3:市坪121号の第二門
民国時代1912~49年建設の邸宅
画像4:市坪121号第二門の獅子型
台座の正面には瑞雲頭・内側には草花?が彫られています。
画像5:市坪120号の第二門
民国時代1912~49年建設の邸宅
画像6:市坪120号第二門の獅子型
台座の正面には瑞雲頭・内側には長い葉の草花が彫られています。
画像7:染衣巷58号の門
画像8:染衣巷58号の獅子型
子獅子を横に従えたユーモラスな表情の獅子型
最近作られたと思われる獅子型もありました。
画像1:厳家大院第二門(富春里1号)
≪老房子 雲南明居≫(2000年10月刊 江蘇美術出版社)に
掲載された民国八年1919年建設の厳家大院の写真です。
頭部の無い獅子の門墩が写っています。
画像2:厳家大院第二門
同じ門を2007年に私が撮影
獅子は頭のある現代風の物に変わっています。(画像3)
近年の新作でしょう。
画像3:厳家大院第二門の現代的な獅子型
画像4:富春里3号の門
民国時代(1912~49年)建設の邸宅ですが、門とそれに続く家屋
はコンクリート製です。
画像5:富春里3号の獅子型
画像6:彩雲街56号
民国三十八年(1949年)建設の邸宅
画像5:彩雲街56号の獅子型
門墩は新しい石のように見えます。
風変わりな獅子型門墩を紹介しましょう。
画像1:03年の富春里16号の門
画像2:03年の富春里16号の門墩(頭無い)
画像3:07年の富春里16号の門
画像4:07年の富春里16号の門墩
ここでは文革で壊された獅子が新しい獅子に取り替えられています。
画像5:富春里18号の門
邸宅は民国時代(1912~49)年建設
画像6:富春里18号の獅子型 (高18cm:幅22cm:奥行27cm)
獅子の厚みは1cmほどで、台座にへばりついたように貧相です。
こんな薄っぺらな獅子型も数組あります。
画像7:大界巷22号の正門
邸宅は民国十七年1928年建設
画像8:大界巷22号第二門の獅子飾り
門の飾り又は魔除けとして置かれた獅子です。
一見門墩と見間違いますが、よく見るとこの獅子は敷居の前に置
かれて、門扉を支えていません。
門扉は敷居に付いた門臼が支えています。
この様に門を構成する建築材でない飾りとして置かれた獅子が
かなりあります。
(この獅子は正門の門柱上に有ったの像だそうです。)
画像9:市坪街154号の奥
画像10:市坪街154号奥の獅子型
門が改造され塀の壁の中に埋めて保存された門墩です。
以前はこの獅子型門墩を備えた立派な邸宅だったのでしょう。
喜洲鎮には門墩は獅子型のみで、丸い太鼓型や箱子型・台座型門墩はありませんでした。
門枕も全部で8組しか有りませんでした。
それらを紹介します。
画像1:染衣巷15号の門
画像2:染衣巷15号の門枕石
正面に瑞雲頭が彫られ、側面には何も彫られていません。
正面に瑞雲頭がほられ、側面には何も無いこれとそっくりな門墩石
が染衣巷30号にも使われていました。
画像3:染衣巷18号の門
画像4:染衣巷18号の門枕石 (高16cm:幅18cm:奥行22cm)
門枕石には何も彫られていません。
画像5:染衣巷19号の門
清の康熙五十七年1718年に大商人の楊源が建てた邸宅です。
喜洲鎮で四番目に古い建物です。
画像6:染衣巷19号の門枕木
第3節 大理市喜洲鎮 終