第1節 旧城内
城壁は明朝永楽三年(1405)に築かれました。
しかし、1900年の欧米八カ国連合軍に破壊され、現在は老城区を囲む環状道路に なっています。(地図の赤太線を旧城内と言います。)
97年8月7日、11月8日の二度旧城区を訪れました。環状道路内には古い町並みが残り、古い家屋と共に門墩もありました。
中央を東西に走る西門内大街・東門内大街の北側一帯で獅子型2組・抱鼓型15組・箱子型3組・門枕石8組が撮影できました。
しかし、2005年3月27日に訪れた時には綺麗に開発され町割りも変わり高層住宅群で埋まり、23組の門墩は古い家屋とともに姿を消していました。
現在僅かに残っている門墩と姿を消してしまった物を含めた天津旧城内の門墩事情を紹介します。
獅子型門墩
画像1:広東会館 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
旧城の中心に聳える鼓楼の直ぐ南東にあります。
1907年に広東系の富豪が建てた四合院です。
現在は天津戯劇博物館として多くの観光客を集めています。
画像2:広東会館の獅子型門墩
須弥座に錦鋪を掛けた台座に厳しい獅子が乗った北京式門墩です。
石材も上質の漢白玉(白大理石)です。
画像3:広東会館の獅子型門墩
母獅子が左前脚の下に子獅子を従え、反対側の父獅子は右前足で
繍玉を押さえた伝統的な姿をしています。
錦鋪には麒麟が彫られています。
画像4:玉皇閣前の獅子型門墩 (右側)
画像5:玉皇閣前の獅子型門墩 (左側)
玉皇閣の前に獅子型門墩が一組保存されています。
台座は簡素な箱型で、獅子も広東会館の獅子に比べ柔和な姿で、
古い物と思われます。
顔面は破損して目・鼻・上唇が欠落しています。
97年には有りませんでした。05年に置かれていました。他の場所から
移設されたのでしょう。
抱鼓型門墩
97年調査時、天津旧城内で抱鼓型門墩は北京式6組・天津式4組・古い様式の5組=合計15組を見つけました。
まず、北京式抱鼓型を紹介します。
画像1:卞家大家の大門(沈家柵欄3号)
抱鼓型門墩を代表する門墩を備えた正門です。
卞家大家は当時の天津八大大家の一つの大富豪でした。
画像2:卞家大家にあった北京式抱鼓型門墩
太鼓の側面には牡丹と竹が生えた岩の上に鶴が居る吉祥図が見事
に彫られています。
(岩=家基穏固 竹=百事平安 牡丹=富貴 鶴=長寿)
錦鋪には“長寿”の仙桃の枝を銜えた蝙蝠が彫られ、吉祥模様も
盛り沢山でした。
画像3:画像2の門墩の正面
上の父親獅子は破壊されていましたが、二匹の子獅子は無傷でした。
右側の門墩にも母子の獅子が彫られ左右合計で九匹いました。
“九世同居=一族団欒・子孫繁栄”の吉祥図です。
上部の獅子が破壊されているのが惜しまれます。
画像4:倉厫胡同48号東隣
画像5:倉厫胡同48号東隣にあった門墩
豪華なデザインの“九世同居”が彫られています。
画像6:府署街106号の門
画像7:府署街106号の門墩
同じく豪華なデザインの“九世同居”が彫られています。
画像8:北門内大街70号門
門墩は基座が埋もれていますがこれも豪華なデザインの“九世同居”
が彫られています。
広い屋敷で第二門には箱子型有獅子門墩を備えていました。
画像9:南市食品街東側の門墩
画像10:小馬路24号の門(撮影:森野晴洋氏)
画像9以外の屋敷は現在は取壊され高層アパートになっています。
次に、天津式抱鼓型を紹介します。
太鼓と鼓座の間に細長い錦鋪が敷かれ、鼓座が円形の抱鼓型門墩は天津地方特有の型です。
私はこれを天津式抱鼓型と命名しました。
天津式と北京式の相違は3点です。
1.錦鋪位置:天津式は太鼓と鼓座の間で北京式は鼓座と台座の間
2.錦鋪の形:天津式は縦長で北京式は短い三角形
3.鼓座の形:天津式は円形で北京式は蓮の葉型
画像1:府署街125号
画像2:府署街125号にあった天津式抱鼓型
太鼓の内側には富貴の牡丹?が彫られているようです。
画像3:只家胡同34号
画像4:只家胡同34号にあった天津式抱鼓型
太鼓の内側に蓮の葉と花?が彫られているようです。
画像5:鼓楼東街西北角の天津式抱鼓型
天津旧城内に現役として残っている天津式抱鼓型では恐らく唯一の
貴重な門です。
太鼓の内側には満開の牡丹が二株彫られています。
三組の門墩はいずれも獅子の頭部が壊され、錦鋪には左右対称の抽象模様が彫られていました。
古い様式の抱鼓型門墩
門墩の基座が須弥座でなく、箱型をした抱鼓型がありました。
これは基座が複雑な須弥座になる以前の古い様式の門墩だと思います。、
画像1:卞家大墻4号の大門
1920年代に建築された邸宅です。
屋根の部分はその後改修されています。
画像2:卞家大墻4号にあった抱鼓型門墩
台座が簡素な箱型でした。
正面には獅子、側面には波の上を疾走する海馬、軸座には瑞雲が
彫られていました。
太鼓の上の獅子は壊されていました。
太鼓の側面には竹林の岩陰に鶉?が一羽彫られていました。
軸座にも彫飾りを施した数少ない例の一つです。
画像3:府署街62号にあった抱鼓型門墩
太鼓胴には房の付いた環を銜えた“獣吻”の頭部が彫られていました。
台座の正面には仙鹿が、側面には龍馬?が、軸座に瑞雲が彫られて
いました。
【注1】“獣吻”は龍が生んだ九匹の子の一つで邪気を好んで食べる
空想の動物です。
抱鼓型門墩に度々使用されています。
【注2】“仙鹿”は長寿の象徴です。また、“禄”を意味し富の象徴にも
使われます。
画像4:経司胡同10号にあった抱鼓型門墩
台座は全く彫飾りのない簡素な箱でした。
上の獅子以外には太鼓にも飾りがありませんでした。
文化大革命の時、彫られていた模様が削り取られたのではないかと
推測します。
画像5:二道街にあった抱鼓型門墩を備えた門
写真でははっきりしませんが、箱型台座に錦鋪が掛けてあるようです。
箱子型門墩
箱子型は3組しか確認できませんでした。
画像1:北門内大街70号の中門
画像2:中門の門墩(右)
画像3:中門の門墩(左)
上部の獅子は頭部を破壊されて、脚と胴のみになっていました。
箱の正面には“福寿”の吉祥模様:蝙蝠と仙鹿が、その下の錦鋪には
長寿の象徴“仙桃”が彫られていました。
箱の側面には立ち昇る“瑞雲”が彫られていました。
画像4:玉皇閣街にあった箱子型門墩を備えた門
台座を持たない柱状の箱子型門墩は天津地方に多いようです。
画像5:羅家胡同20号にあった箱子型門墩
北門近くの旧城内の胡同にあった柱状門墩です。
正面に帽子を被った1人の人物が彫られていましたが、写真では
はっきりしません。
門枕石
天津の門枕石には他の地方にはない二つの特徴がありました。
特徴1 門枕の上に獅子の全身像が蹲踞していた事です。
恐らく天津以外には絶無です。
画像1:経司胡同 (北→南)
現在は取壊されて存在しません。
画像2:経司胡同17号の門
獅子を乗せた門枕を備えた四合院の門
画像3:経司胡同17号にあった門枕石有獅子
画像4:門枕の上面
ひどい破壊を受け、前脚・臀部・後脚の名残りを留めており獅子が
居たことは明白です。
正面の模様も破損がひどく内容は不明です。
画像5:府署街110号にあった門枕石有獅子
門枕の上にいた獅子は胴体と後脚の部分しか残っていません。
正面には“松樹下仙鹿”と“松樹下仙鶴”の吉祥図が高浮彫りされてい
ました。
特徴2 “高浮彫り”で模様が彫られていたことです。
門枕石に模様を彫る例は少ないですが、それでも全土で行われています。しかし、これ程高彫りをする例はありません。天津のみです。
画像1:東門里126号
画像2:東門里126号にあった門枕石
子獅子を従えた雌獅子を高浮彫りにした見事な門枕石です。
獅子は5cmも浮き上がっていました。
画像3:府署街98号
画像4:府署街98号の門枕石の獅子
画像5:龍亭街12号
画像6:龍亭街12号にあった珍しい門枕石
正面の獅子の彫りの高さは普通でしたが、側面にまで模様を彫った
例はあまり見かけません。
画像7:卞家大墻8号の門枕石の獅子
これも見事な獅子です。獅子は避邪の為に彫られているのでしょう。
画像8:羅家胡同24号
画像9:羅家胡同24号にあった門枕石
この牡丹?の花も高浮彫りでした。
画像10:府署西箭道12号にあった門枕石
この牡丹は見事です。
残念ながらこれらの門枕石は建物とともに取壊されたのでしょう。
天津老城博物館
天津旧城は城壁も町並みも古い四合院もすっかり取り壊され近代的高層住宅街に取って替わられました。昔の面影を残すものは中心に聳える鼓楼とその周辺に少しあるだけです。
昔の支配階層の大邸宅にしか許されなかった門墩は3組しか残っていません。
そこで、この博物館は大きな四合院を“天津老城博物館”として修復保存し、昔の面影を伝えています。
「博物館の建物は東門内大街202号の徐家大院です。清末から民国初期の天津麦加利洋行商人徐朴庵の旧宅です。
青瓦葺切妻造南向き、中庭を三つ持つ中国の伝統的民家。敷地1381㎡、建築711㎡。
天津築城600年記念の2004年12月に天津老城博物館として開館しました。……。」
(博物館の建物説明文)
画像1:天津老城博物館の正門
画像2:正門の右側門墩
画像3:正門の左側門墩
太鼓の内側には松樹・猿・鳥・鹿が、台座の内側には波浪・何かを
積んだ船・岩・小鳥・瑞雲が彫られています。
太鼓の上の獅子は門墩を豪華に見せる為に後から埋め込んだ改造で
しょう。
こうした改造を私は“門の北京化(北京式門墩の豪華さを真似る事)”
と言い、良く ない風習なので流行らないことを願っています。
画像4:博物館の正門を入った内部の風景
画像5:博物館の門墩展示室内
博物館では一室を門墩展示室として門墩の実物と多くの写真を展示
しています。
門墩が文物として保存の対象にされている姿に接し、嬉しい限りです。
2009年8月に“天津老城博物館”へ行くと、内容が充実していました。
門墩の展示も抱鼓:3組 門枕石:3組と増えていました。
画像1:抱鼓型有獅子門墩
展示室の軒先に置かれた門墩
獅子は前半身が壊されています。
画像2:抱鼓型門墩を備えた門の展示
画像3:門枕石を備えた門の展示
門枕石の正面に模様が浮彫りされています。
獅子だと思うのですが破損されており解りにくいです。
画像4:門枕石を備えた入口
一番奥の庭に入る出入口の門枕石。
正面に模様が浮彫りされています。
画像5:門墩展示室に展示された門枕石
瑞雲に囲まれ、後を振り向いた麒麟が浮彫りにされています。
正面に麒麟・獅子・花模様を高彫りするのは天津独特の門枕です。
門墩の保存
天津には大実業家で多方面の文物収集家張連志氏が数百組の門墩を集めておられます。
2009年7月に訪ねて、一部を見せてもらいました。
画像1:瓷房子博物館 (所在地:天津市和平区赤峰道72号)
陶器を全面に貼り付けた瓷房子博物館本館。
前庭に沢山の門墩が展示されています。
画像2:瓷房子博物館別館門前の門墩の一部
画像3:瓷房子博物館別館の階段に並べられた門墩の一部
画像4:直営餐庁(中華レストラン)の踊場に置かれた箱子型有獅子門墩
画像5:踊場に置かれた箱子型有獅子門墩
画像6:箱子型門墩の上の獅子
右後脚で頭を掻いています。
この面白いポーズの獅子は中国各地の門墩の上で見かけます。
画像7:2009年春節に北京で行われた門墩展示会(抱鼓型)
画像8:2009年春節に北京で行われた門墩展示会(箱子型)
張連志氏収蔵の中から300組が出品された展示会だそうです。
鼓楼北大街の古美術商が門墩を商品にしていました。
「立派な門墩ですネ。いくら?」
「良いだろ~。7000元!」
古美術品として個人収蔵が行われているようです。
第1節 旧城内 終