1 西安旧城内

旧城内の概要
 北京旧城内の調査保存が一区切りついた私は、明代の城壁に囲まれた西安城内の門墩を調べたくなりました。お世話に成った北京語言大学文化学院芸術系の先生にお願いし、陝西師範大学へ2001年9月~11月の短期留学をしました。
 妻も中国語研修を目的に入学しましたが、体調をくずし1ケ月で帰国しました。

 私は語学研修生の五割増の学費と引換に2つの特別待遇を得ました。
   1、「陝西師範大学                        (画像をクリックして 大きくなりますヨ)

       西北歴史環境與経済社会発展研究中心訪問学者

         中国門墩研究専門家」

                と書かれた肩書きの長い名刺

   2、毎月曜日担当教授の部屋に顔を出すだけでその他は一切自由

 連日朝から晩まで西安城内の門墩を探して自転車で動きました。この時、名刺は市民の調査協力に効果を発揮しました。
   画像1:陝西師範大学の正門

 

 西安の城壁(東西4.2km 南北2.7km)は明朝初期に造られました。
 300年後、明朝を倒し清朝を建てた満州族は、広大な領土を治める為に軍隊と官僚を各地方に配置しました。

 西安でも城内東北部を城壁で区分し、“満城”と言う彼ら専住地域を築きました。
   画像2:清代の西安城(赤線で囲んだ部分が「満城」)

 

 更に300年後の辛亥革命時、この満城壁とその内部は西安の蜂起軍によって徹底的に破壊略奪されたそうです。
 その為か、この地域には路上に捨てられた物を含めても22組しか門墩は有りませんでした。従って、西安城内には基本的には清朝の支配階級の門墩は残っていないと思います。

 さて、西安でも門墩は獅子型、抱鼓型、箱子型の三種類でした。
   画像3:獅子型門墩(大皮巷15号)
   画像4:抱鼓型門墩(興隆巷42号の第二門)
   画像5:箱子型門墩(八家巷5号)

 

 西安の門墩に彫られた図は写実的で柔和な感じを与えるものが多かったと思います。(北京との対比で。)

 

 

 門墩所在地と門墩の型
 2001年11月現在 西安城内には658組の門墩がありました。その内訳は表1と表2の通りでした。

西安旧城内の門墩所在地図は下の様です。  (赤色は写真を撮った門墩・門枕)

  黄色で囲んだ部分が門墩があったところです。それ以外のところにはポツンポツンと散在していました。
 赤線の部分は“満城”と言って清朝の支配者八旗軍専住地域でしたので門墩が沢山あったはずですが、辛亥革命時に漢民族の暴動で徹底的に破壊され、門墩はほんの少ししかありませんでした。

 

 

 獅子型門墩

 まず、獅子型ですが、柔和で愛くるしい獅子が殆どで、厳しい顔をしていても威風堂々といった雰囲気の物はありません。身分を誇示するより、家を邪気から守る目的で設置されたのでしょう。破壊された“満城”の中の清朝支配層の獅子は違った雰囲気を持っていたと想像します。

    画像1:豪華な基座に置かれた獅子 (大皮院15号正門)
        なぜ太鼓の上に蹲踞しているのか?他の地方では見かけない形です。
        豪華な基座です。こんなに豪華な基座はこの獅子だけでした。
    画像2:太鼓の上に蹲踞した獅子 (柏樹林18号の門脇に放置されている。)
        これも太鼓の上に蹲踞している。西安の獅子は太鼓に蹲っているのが

         多いです。
        基座は正面に草花を彫った箱型と質素です。
    画像3:正面に満開の蓮花を一輪彫った簡素な箱型基座に蹲踞した獅子                                               

                                       (書院門95号)
    画像4:彫飾のない簡素な箱型基座の上に後を振返る獅子 (西柳巷14号)
         獅子は邪気の侵入を防ぐべく正面を向いているのですが、寝そべって

       後を振返っているのは珍しい。4組と少数です。
    画像5:小雁塔の収蔵品の獅子型門墩
         以前の所在地が分からないのが残念です。
         作品の素晴らしさと獅子が発する雰囲気から、これは身分を誇示する

        門墩で、満城の中にあった門墩だと推測しています。

 

抱鼓型門墩1

    画像1:北京式抱鼓型有獅子門墩 (小学習東巷7号)
        太鼓の上に居た獅子は削り取られて、姿が無い。
   画像2:抱鼓型有獅子門墩  (大学習巷66号)
   画像3:抱鼓型有獣吻頭門墩 (許士廟街57号)
   画像4:抱鼓型門墩 (建華西巷南端路端)
   画像5:抱鼓型門墩 (北院門180号)
 寺廟を除く住宅に設置された57組の抱鼓型門墩で、写真に撮れたのは39組でした。

    この39組から住宅の抱鼓型門墩の特徴を紹介します。
◎ 基座から太鼓が前にせり出している。(画像1~5)
◎ 鼓座は雲型が殆ど。(画像1,3~5)  
   それ以外の鼓座は例外。(画像2)
◎ 基座は箱型が殆ど。(画像2~5)  
   基座が須弥座は例外 (画像1の他3組のみ)
◎ 門墩の最下層を短脚の物置台に作り、其の上に門墩を乗せている。

                                                                                 (画像1~5)
   画像1と2 は物置台が地中に埋もれていて見えない。
◎ 太鼓に彫られている図は麒麟の子供?(画像1)か、又は後を振返り玉を吐出し

  ている阿吽の麒麟(画像4)が殆ど。
   その他には鶴(画像2)蓮花(画像3)文字壽(画像5)鹿が各々1~2組だけ。
◎ 基座に彫られている図は海馬(画像2、4)が多いが、その他動物、鳥、蓮、草花

  など多種類の模様がほられている。
◎ 太鼓の上の獅子は首を内側にひねり太鼓の胴に沿って寝そべっており、厳しさ

   を感じさせない。(画像2)

      桃胡巷33号の門墩
      桃胡巷33号の門墩

門墩では太鼓は鼓座の上に縦に置かれるのが普通です。
 門墩が抱鼓石と呼ばれるのもこの為です。
 ところが西安城内では、基座の上に太鼓を横に寝かせて置いた門墩が3組ありました。
 これは他では見かけない大変珍しいものです。(参考画像)
 建物の柱の下に置かれる“柱礎”に太鼓を横に置く例は、中国全土で多く見かけます。 太鼓を横に置くのには何か意味が在るのかもわかりませんが?

 抱鼓型門墩2

  西安城内には多くの回教徒が住んでおり、清真寺(イスラム寺院)が沢山あります。又道教の道観や廟等もあり48組の抱鼓型門墩があります。これらはさまざまな様式なので類型化できません。宗教別、宗派別に規定が在るかも知れませんが、この点は分かりません。

 幾つかを紹介します。
 

  画像1:化覚清真寺 西北中門 抱鼓型有獣吻頭
       鼓楼の西にある西安最大のイスラム寺院。
       正門の門墩は画像3に似た門墩ですが、西北中門のこの門墩は高さ

          約120cmあり、基座は数少ない須弥座で立派なものです。太鼓に彫られて

          いる図は、雲が流れる山中の空(もしくは島が散在する大海原)いっぱいに

           大きな龍が堂々と彫られています。
 
  画像2:清真寺 東南門 抱鼓型有獅子 (大学習巷94号)
       唐代の創建。その後6回改修され、現在の建物の多くは明代の物。
       太鼓の上に獅子が伏せています。太鼓には後を振返り玉を吐出している

           阿形の 麒麟(反対側には吽形の麒麟)が彫られています。太鼓の胴は

           一面瑞雲で覆われています。基座は彫飾が無く簡素な箱型ですが、草木を

           彫った錦鋪が敷かれています。

 

  画像3:小皮院清真北大寺
       門墩の内側に絢爛たる満開の牡丹、外側に花を真上から見た図が彫ら

           れています。
       門墩の胴は子供達のお尻で磨かれ、ツルツルに光っています。

 

   画像4:関中書院
       明の萬歴37年(1609年) この地方の教育機関として設立された書院。
       太鼓には頭に二本の角を生やした四本脚の怪獣(麒麟?)が彫られて

          います。
       鼓座の瑞雲と基座の波紋の彫が美しい。
       基座の正面の波紋の中に古代の兵器“戟”が三本、反対側の門墩の基座

          の正面の波紋の中には古代の石の打楽器“磬”が彫られ、“吉慶”の吉祥図

          です。(戟=ji=吉、磬=qing=慶)

 

   画像5:城隍廟 第二門
        この城隍廟は中国西北諸省を統括する600余年の歴史を持つ廟です。

               第二門の門墩ですが、残念ながら太鼓、敷物、基座の模様は削り取られ

            て不明です。
        太鼓を安定させる鼓座を持たず、基座を刳り抜いて、分厚い敷物に

             太鼓を乗せている古い様式を伝える門墩です。
        城隍廟は鐘楼から西に伸びる西大街の西側にあります。 

 

       南城清真寺の門墩
       南城清真寺の門墩

 

 

 

 

 寺廟の門墩は豪華なものばかりでなく、南城清真寺のように堂々としているが簡素な物もあります。

 中には太鼓の部分に目立たなく細い線で薄く模様を刻んだ物もあります。

 

 

大学習巷94号清真寺内の南北の脇門に抱鼓型門墩があります。
 この門墩に線彫りの彫刻があります。
 門衛さんは拓本に採るのを了解してくれました。

 

 その準備として門墩に水を掛け、汚れを取っている所にお坊さんが通りかかり「何をしている?」「この図を拓本に採らしてもらう準備を…。」
「ならん!」

 

 

 

 

残念ながら拓本に採れず、図の詳細は不明です。

⑥ 箱子型門墩

西安の箱子型は“四脚の長い台の前半分に接続部分を設け其の上に箱を置いた型(A型)”(画像1~3)と“低い四脚の長い台の上に立方体の箱を置いた型(B型)”(画像4と5)との二種類です。
 
 A型が90%と大半で、B型は10%と少数です。

    画像1:化覚巷48号
         箱の内側に怪獣、正面に牡丹が彫られている。 
         接続部分にも模様が彫られている。
    画像2:小皮院93号
         箱の部分は岩陰に止まった可愛い小鳥。
         接続部分に彫飾が無い。
    画像3:化覚巷61号の路端
         箱の部分の内側には牡丹の花が浮彫りされ、花の周辺には細い線

        で葉や茎が彫られている。
         接続部が真っ直ぐでなく、内側に凹んだ弧になっている。
    画像4:紅埠街100号第二門
         正面には上段に“環を銜えた獣吻”と下段に“鶴”が、内側には上
        段に“牡丹”と下段に“鹿”が、軸座には“霊芝?”が彫られている。
    画像5:小学習巷79号
         文字“囍”が線彫りされた花瓶に花を生けた図が浅彫りされている。

 

 A型を西安式箱子型門墩と名付けています。この西安式は更に接続部の違いで三種類に分けられます。
 接続部が真っ直ぐで彫飾のあるものA-1型(画像1)、彫飾の無いものA-2型(画像2)、接続部が弧になっているものA-3型(画像3)です。
 B型は背の高いもの(画像4)と低いもの(画像5)の二種類です。

 西安の箱子型門墩の5っの型の違いは、やはり家の格の違いを表しているのでしょう。
 しかし、どの型がどんな階層を表しているのかは不明です。

 ⑦ 西安式箱子型1

 A-1型 西安式箱子型直接続部模様有門墩の幾つかを紹介します。

    画像1:北院門144号内東北門
         古い道具類を描いた図は“博古模様”といい、教養人や宦官の家の

               模様として使用されます。
    画像2:甘露巷14号 
         兎は門墩にはよく登場します。どんな寓意が有るのか知りません。
    画像3:夏家什字7号 
         鶴は長寿の象徴です。
    画像4:香米園北巷39号
         蓮池で泳ぐ水鳥の模様も西安では門墩にはよく登場します。
          どんな寓意が有るのか知りません。
    画像5:東木頭市90号
         文字を図案化した図は少ないですが使われています。壽?

 西安式箱子型2

 A-2型 西安式箱子型直接続部模様無門墩の幾つかを紹介します。

   画像1:小学習巷39号第二門
        西安式箱子型直門墩を備えた豪華な磚画で築かれた第二門。
       かっての栄えた時代をしのばせる建築です。
        後世に伝えて欲しいものです。
   画像2:小皮院47号 
        木蓮の蕾を付けた樹を上品に図案化。
        中国では木蓮は望春樹とも呼ばれ、吉祥図として愛用されます。
        また、木蓮は玉蘭とも呼ばれ、富貴な家の雅称“玉堂富貴”に通じる

             ので門墩に使用しているのでしょう。
   画像3:書院門103号の門墩の上部
        花瓶と鼎が彫られています。
        天下泰平を表す平定(瓶=ping=平、鼎=ding=定)の図。
        西安の門墩に最も多く使われている吉祥図です。 
        この門墩には西安の彫刻の特徴である“浮彫りと線彫りの併用”が

             見られます。
        花瓶と鼎の胴体には満字が線彫りされ、花瓶に生けられた花の茎や

             花弁も線彫りされています。
   画像4:西羊市街65号
        何の葉か分かりませんが、この草の図は西安では門墩によく使用され

             ています。  
        なにかの吉祥図なのでしょう。
   画像5:建華西巷70号 
        何が彫られていると思います???
        私は“山裾を流れる川で、水鳥が魚を獲ろうと潜って、胴と尻が浮いて

             いる。”
        ユーモアー溢れる遊び心が楽しい図だと思うのですが?

 

 

 

 

 豪華さでは劣りますが、全体の様子がわかる磚画門です。
 この家の住人は保存を希望していましたが取壊し対象に指定されていました。どうなりましたか??

               西大街建華南巷35号 の門

 

 

 

 

 

 ⑨ 西安式箱子型3

 A-3型 西安式箱子型弧接続門墩の幾つかを紹介します。

  画像1:化覚巷84号
       箱の側面には虎に似た怪獣が岩に座り、前脚を地に着いた形で蹲って

      います。
       正面には草花が彫られています。 
  画像2:八家巷7号
       箱の正面に蓮の花と葉の蔭に一羽の鷺が彫られ、鷺の前には蓮花が

      半開きになっています。
       昔の官僚登用試験“科挙”で、郷試から最後に紫禁城の皇帝の前で行

      われる
       “殿試”まで順調に合格する吉祥図“一路連科”。
       (一匹の鷺=lu=一路、蓮=lian=連、荷=ke=科)         
  画像3:八家巷6号
       夫婦が一生添い遂げる想像上の瑞鳥=鸞。
  画像4:開通巷33号
       岩陰の小鳥。西安の門墩には各種の鳥が登場します。
  画像5:光明巷59号
       文字“福”。寿と共に西安の門墩に用いられる文字です。

 

 ⑩ 箱子型4

 B-1型 箱子型一体高門墩の幾つかを紹介します。

   画像1:興隆巷42号 左正面 
        上段は蝙蝠が古銅銭を銜えている“福在眼前”、下は疾走する鹿。
   画像2:興隆巷42号 右内側
        上は玉を吐出した吽形の麒麟、下は快走する海馬。
   画像3:東庁門136号
        上段には環を銜えた獣吻、下は古代の石の打楽器“磬”。
        この組み合わせの図は、西安では箱子型門墩によく見かけます。
   画像4:小皮院48号
        蓮の花、蕾、葉は一本の蓮根から生えます。“夫婦仲良く”の吉祥図

       です。
        抱鼓型門墩にも箱子型門墩にもよく使用されている模様です。
   画像5:北院門234号
        鉢植えの花。花の種類は判りません。

 箱子型5

  B-2型 箱子型一体低門墩3組と彫飾のある門枕石2組を紹介します。

   画像1:書院門12号 
        大変愛嬌のある獅子。低門墩には多い獅子。
   画像2:東倉門115号 
        たまにはこんな勇ましい獅子もいるゾ!
   画像3: 順城南路東段
        文字“福?”。この文字は背の低いこの門墩によく使われています。
   画像4:小学習西巷1号の門枕石
        素朴な彫りの門枕。
        可愛い獅子、疾走する馬、鳩が彫られている例もあります。
   画像5:驢馬市101号東の門枕石
        角を彫り込んだだけだが、貫禄のある門枕石。
        かなり古い物と思われます。

 

B-2型(箱子型一体低)門墩は唐の時代に既に使用されています。(参考画面)
 則天武后の孫娘永泰公の墓の地下の門に使われていました。
浅い線彫りで表面いっぱいに唐草模様が彫られています。

箱子型門墩5

 寺廟にも箱子型門墩がありますが、数が少なく類例化できませんが、幾つかを紹介します。

   画像1:東新街清真寺(A-1型:箱子型直絵門墩)
        怪獣が前方を睨んで蹲踞しています。
   画像2:大学習清真寺西門(A-1型:箱子型直絵門墩)
        山裾で虎に似た怪獣が女性の旅人を襲っています。
        接続部には水中を渡る馬の姿が彫られています。
   画像3:建国巷清真寺(B-2型:箱子型一体低門墩)
        正面に大きな樹木が彫られています。
   画像4:臥龍禅寺(B-2型:箱子型一体低門墩)
        蓮の花と葉が生けられた花瓶と鼎を彫った平定の吉祥図。
   画像5:城壁小南門
        無彫飾の門枕石

 

門墩保存 ①

 西安の門墩は西安市小雁塔文物保管所で収集保存されています。

   画像1:小雁塔と側に集められた門墩など
   画像2:集められた門墩の一部
   画像3:獅子型門墩(小雁塔収蔵品)
   画像4:抱鼓型門墩(小雁塔収蔵品)
   画像5:人物が彫られた西安式箱子型門墩(小雁塔収蔵品)

 

 2001年9月 西安城内の門墩調査の為に陝西師範大学に3ヶ月間の短期留学をしました。
 当時、西安城内では鐘楼から安定門に伸びる西大街が大拡張工事の最中で両側の家屋が取壊されていました。その他の所でも多くの古い家屋が取壊されていました。
 門墩所在地図作りと写真撮影・拓本採拓の為に門墩を探して、自転車に乗って、毎日城内をうろついていた私は、工事に伴なって門墩も取壊されている現場にたびたび遭遇しました。これは何とか保存しないといけないが……と思って担当の先生や事務所の人などに大学が保存するなら協力すると申し出ましたが、陝西師範大学は北京語言大学の様な反応はありませんでした。

 さて、ご存知の通り中国料理は沢山の人と一緒に食卓を囲むに限ります。そこで、私達夫婦は週に2~3回妻のクラスの学生達と夕食を共にしていました。
 10月下旬の夕食会の席上、門墩が話題になり、西安の事情と保存の必要性を話しました。食事の後、一人の女子学生が私を呼びとめ「さっきの話をもう少し聞かせて欲しい。」と言います。
 「私の両親は香港生まれでオーストラリアに住む華僑です。娘の私はオーストラリアの大学院生です。アルバイトに中国語で観光ガイドをしており、中国の要人に知り合いがいます。西安の門墩の話を聞いて何とかしないといけないと思いました。貴方の部屋番号を教えて下さい。」と言うので、番号を教えました。

 10月30日夜 彼女から「明日朝私と西安市文物局に一緒に行ってください。」と電話です。
 翌日朝一番タクシーで市文物管理局に行き、応接間で中年の男性に彼女が門墩の保存を訴えます。男性は「わかった。しかし西安は歴史の長い都で保存を必要とする文物が大変多い。門墩までは手が廻らない!」とにべも無い。彼女は私の写真集や≪北京門墩≫の本を見せて粘る。男性は卓上の電話を取って電話をして、「ここに電話をしておいた。そちらに行って話をしてくれ。趣旨は伝えている。」と言って一枚の名刺を渡しました。

 彼女は事務所を出るとタクシーを止め「小雁塔!」と命じます。
 タクシーの中で名刺を見ました。“全国重点文物保存単位 西安市小雁塔文物保存所 孔正一所長”と有ります。「小雁塔に行った後、テレビ局ヘ行き記者を紹介するので貴方は西安の門墩の保存の必要性を話して下さい。世論を盛り上げなくちゃア。私は明日中に試験論文を出さないといけないので最後までは同席できないが、貴方の中国語でも何とか通じるでしょう。今日一日西安の門墩の為に時間を割いて欲しい。」と言います。
 小雁塔の孔所長は私の作った西安の門墩所在地図と写真集に目を通し、彼女の話を一通り
聞くと「いい話です。しかし私一人では決められない。午後から会議を開くので昼飯をとって少し待って居てくれ。」と言ってくれました。

 彼女は「時間が無いので待つ間にテレビ局へ行こう。」と、タクシーを飛ばしテレビ局で女性の記者と男性カメラマンを紹介し、暫く彼らと話をした後、私を加えて今後の取材日程を打ち合わせました。(後日テレビ局の取材を受けました。私が西安を離れた11月16日の数日後に2日間にわたって放送されたそうです。民間芸術品保存の機運増勢に役立ったようです。)

 小雁塔に引き返すと、孔所長が待っており、「小雁塔で門墩の保存をする事に決まった。任せて欲しい。ところで早速だが路上にほうり出されている門墩を見に行きたいので明日朝一番ここへ来て下さい。」と言う。了解して別れました。
 帰りのタクシーの中で、彼女は「良かったネ。私は論文を仕上げるので、岩本さんは西安の門墩保存の為に頑張って下さいネ。」と握手を求めてきました。私も笑顔で握手しました。万歳!!

 翌11月1日 孔所長は三人の部下と私を乗用車に乗せ、一日かけて私の案内に従い門墩を見て周りました。2日夕方小雁塔によって見ると2組と2個を収集していました。そして「〇〇と〇〇が渡さないから明日は警察を連れて取りに行く。」と言って白い頬を赤くして笑顔を見せました。
  3日朝「ウ~ウ~」と鳴るサイレンを先頭に城内に向けてスタートしました。こうして数日の内に十数組を集めてきました。
  孔所長と職員の門墩保存への熱意に感激し、“門墩所在地図”と撮影した“写真一式約八百枚”と“収集資金十万円”(注)を渡し門墩の保存を依頼しました。
 (注)資金の寄付は広島県福山市の森田逸美さんと連名です。

 こうした愛国心の強い華僑の一女子学生のお蔭で、西安の門墩は安泰です。
 その後訪れるたびに、門墩の数は増え、2002年5月には五十組を超えていました。

 後で知った事ですが、私達が収集を依頼する以前から小雁塔では門墩を収集していました。当時西安文物局は小雁塔構内に西安民俗博物館(仮称)を設立する計画があり、門墩以外の民俗品も数年以前から数多く収集していました。

 

 小雁塔文物保管所が“西安民俗博物館”(仮称)として計画していた博物館は、2008年5月小雁塔構内に“西安博物院”として開館しました。
  門墩はここには展示されていません。
  屋外の木陰などに展示されています。
      画像:西安博物院

 

1 門墩保存②

 西安で有名な大雁塔は1995年に行った時は森に囲まれた小高い丘の上に有りました。今では廻りが整備され壁に囲まれた大寺院に変身し、多くの観光客が訪れています。
 玄宗皇帝と楊貴妃が愛の生活を楽しんだ華清池も大変立派に整備されています。
 経済発展に伴い遺跡整備が各地で行われています。整備作業中に発掘された文物が保存されています。門墩も例外ではありません。

   画像1:大雁塔の山門(1995年には無かった山門)
   画像2:大雁塔境内に保存されている抱鼓
   画像3:大雁塔境内に保存されている抱鼓
   画像4:華清池境内に保存されている抱鼓 (撮影:森田逸美さん)

 

  発掘場所で門墩が保存されることは喜ばしい事です。
 ただ問題なのは門墩の北京化が各地で行われているが残念です。
 各地で遺跡を開発整備する時見た目が豪華な北京式門墩を設置されている事があります。
 ここ大雁塔でも以前無かった山門建設にあたって設置された門墩は地元西安伝来の門墩(画像1、画像2)でなく、北京式の門墩が設置されています。
   画像5:大雁塔山門の門墩

 西安市東部にある隋代創建の浄土宗名刹“大唐悟眞西寺”

   画像6:山門

   画像7:山門正面入口の抱鼓型と左入口の箱子型門墩
        2003年に再建された時に造られた豪華な北京式門墩

 

門墩保存③

 西安では小雁塔文物管理所による公的な収集のほかに民間での収集として、古美術商による収集が盛んです。西安城壁の南大門を入って東に曲がる碑林博物館に続く書院門通りには多くの古美術商が軒を連ねています。
 立派な門墩が沢山ここの店頭に商品として展示されています。以前は見かけなかった風景です。西安市文物局が本格的に収集保存を始めたからでしょう。五千元以上します。

   画像1:古美術商が収集した獅子型門墩     (西安市書院門南)
   画像2:古美術商が収集した西安式箱子型門墩(西安市書院門南)

 

 もう一つは個人または企業や団体の収集です。ビルの入口や公園の中に飾りとして置かれています。
   画像3:ビルの入口に飾られた門墩(西安市朱雀大街)

 

 こうした中で、門墩本来の機能にかなった活用例を発見し、さすが長い歴史を持つ古都だと感心させられました。門墩の装飾芸術品として現代建築の中に生かされた好例です。
   画像4:ビルの玄関を飾ざる抱鼓型門墩(西安市五岳廟門38号)
   画像5:ビルの玄関で生き返った門墩  (西安市五岳廟門38号)

 

                                      第1節 西安市 終