第4節 富陽市龍門鎮
杭州市の側を流れる富春川を50km西南にさかのぼった右岸10km山中に龍門鎮が有ります。
ここは≪三国志≫の一方の勢力だった呉の孫権の子孫一族が住んでいる村です。
2008年9月11日行きました。
托日型門墩:3組 石鼓型門墩:1組 安徽式台座型門枕:1組 門枕石:4組 合計9組を見ました。
画像1:余慶堂の正門
孫権及び一族を祀る為に南宋時代に建てられた余慶堂
現在の建物は清代の物です。
画像2:余慶堂の正門の門墩 (高:133cm 幅:16.5cm)
怪魚が吹き出した海水から太陽が出ている型に作られています。
画像3:余慶堂内の展示場入口に置かれた門墩
二匹の獅子が繍玉を弄ぶ吉祥図が彫られています。
画像4:或る邸宅の入口の前に置かれた門墩
内側には勢い良く跳ねる麒麟が、外側には六花弁の蓮が彫られて
います。
画像5:世徳堂の入口前に置かれた石鼓型門墩
画像6:承恩堂の門
孫権の34代の子孫孫坤を記念して明代に建設されたものです。
現在の建物は民国時代の物です。
孫坤は明朝の永楽帝の時科挙に合格し、鄭和が乗った80余艘の
巨大船の造船を指揮した工部大臣でした。
画像7:承恩堂の門の安徽式台座型門枕
長い台座型で立派な模様が彫られた大変珍しい門枕です。
(高:26cm 幅:22cm 奥行:60cm)
画像8:義門
村は嘉靖年間に火災で壊滅的な大被害を負いました。
この時大富豪商人だった孫潮(孫権の38代子孫)は私財を投げ
出し村の再建をはかりました。
これを顕彰する為に明朝嘉靖年間(1522~1566)に村の中央広場
に建てられた門楼です。
画像9:義門は門枕石が使われています。
画像10:村の或る通り
村には石庫門の家が多く、その中で3箇所門枕を使った門を見ました。
第4節 龍門鎮 終