第1節 杭州市
杭州市は秦の始皇帝が銭塘県を設置したのが始まりと言われ、二千年以上の歴史を持つ古都です。隋代には北京と結ぶ運河“京杭大運河”が開かれ江南地方の重点地として栄え、南宋時代には首都でした。
04年5月1~2日と05年11月17日 杭州市を旅行しました。
南宋の首都だったので多くの門墩が有るかと期待したのですが托日型:5組 箱子型:1組 門枕石:1組しか見かけませんでした。旧城内の主要な部分を見て廻ったのですが。
画像1:岳王廟の大門
岳王廟は宋朝を攻めた金朝に抵抗した英雄岳飛を祀る為1221年に
建設され、現在の建物は清代のものです。
画像2:岳王廟大門に置かれた托日型門墩
(高:132cm 幅:25cm 奥行:93cm)
丸い部分に牡丹の花園で戯れる鳳凰が彫られ、鼓座には霊芝と菊が
彫られた豪華な門墩です。
画像3:文瀾閣の月洞門に置かれた托日型門墩
文瀾閣は清の乾隆帝が≪四庫全書≫を収蔵させるために1784年に
建設させた七つの書庫の一つです。
画像4:文瀾閣の別の月洞門に置かれた托日型門墩
(高:128cm 幅:26cm 奥行:78cm)
画像5:古式の商店で再現した河坊街”
河坊街の古美術商が門墩を商品にしていました。
画像6:古美術商“浙江収蔵”前に置かれている托日型門墩
画像7:河坊街の古美術商にはこんな小さい托日型を置いていました。
画像8:他の古美術商の箱子型商品
正面には岩に立つ鳳凰が、外側には牡丹が彫られています。
画像9:中山公園の大きな正門
西湖の北岸近くにある島の中山公園は唐時代から西湖の名所として
有名な孤山に清朝が皇帝の別荘として建設した宮殿を民国時代に公園
として開放したもので、この正門も清代に建設されたものです。
画像10:正門の門枕石
上に述べた所以外にも古い建物はあるのですが、門墩は備えていませんでした。
画像1:慶余堂の正門
画像2:慶余堂正門の裏側
大きな門扉が石製の鴨居と敷居に差し込まれた石庫門です。
慶余堂は1874年に開業した薬屋の建物で、現在は全国重点文物
(日本の国宝)に指定されている中国薬博物館です。
画像3:中山北路98号の民家
画像4:中山北路98号の民家も石庫門
画像5:石庫門の多い河坊街の裏通り (撮影:richardemail)
石の鴨居・敷居・柱で作られた門を“石庫門”と言います。この“石庫門”では門扉は鴨居と敷居に差込まれ、門墩を使いません。
石庫門は長江の下流地区には多いです。
杭州市に門墩が少ないのは都市開発が進んで古民居が残っていないのと、石庫門の建築が多いのが原因の一つでは無いかと思います。
第1節 杭州市 終