第2節 漳州市
漳州市は泉州市の南西100Kmに有ります。この漳州市は昔から世界各地に移住している華僑の多い所です。
ここ漳州市から江戸時代に長崎に来た人たちが1628年に創建した福済寺の中門に渦型門墩が有りました。(原爆で寺は全焼し、門墩も壊れ破片しか現存していません。)
そんなことで、漳州市の門墩事情を知りたく、2010年4月4~6日調査しました。
獅子型:4組 渦巻型:14組 箱子型:12組 門枕:11組を確認しました。
獅子型を紹介します。
画像1:浦頭大廟正門 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
画像2:浦頭大廟の獅子型門墩
浦頭は漳州市の商業の中心的な埠頭でした。
浦頭大廟はこの賑やかな埠頭に宋代の1177年に創建された民間人の
信仰を集めた武財神の祖宮。
画像3:崇武宮
2003年に再建されたお宮
画像4:崇武宮の獅子型門墩
画像5:慈恵宮
画像6:慈恵宮の獅子型門墩
画像7:東崗祖廟
画像8:東崗祖廟の獅子型門墩
慈恵宮も東崗祖廟も崇武宮と同じ頃に再建されたと思われます。
渦巻型
漳州市の円形の門墩14組は全て渦巻型でした。他の地方に多い太鼓と太陽の門墩は見当たりませんでした。
円形の部分と台座を繋ぐ部分(鼓座)の形に注目すると渦型門墩は2種類に分類できます。
1つは鼓座の正面先端が“布の折り返し”に成っています。(7組)
画像1:蔡氏民居
清代中期に建てられた鄭一族の宗祠だったのを1940年に蔡氏が購入
し整備したこの地方の代表的な古民居
画像2:蔡氏民居正門の門墩
画像3:文衡殿
画像4:文衡殿の門墩 打錫巷77号
画像5:南山寺山門の門墩 (高:138cm 幅台座:41cm 幅渦巻:28cm)
唐代736年に唐朝の官吏の宅として建てられ、後に寺院に転用された。
現在の建物は清朝末期に大修理された唐代の風格を残した建物。
画像6:霞東書院の渦型門墩
霞東書院は清代の藍里提督の旧宅だったのを書院に転用し、清代
道光元年(1821年)に修復した建築です。
画像7:400年以前に進士に合格した貴人の家の門墩で、霞東書院が収蔵し
ていた。
画像8:武當宮の門
北宋998年創建された宮ですが、今の建物は台湾の同士の寄付を契機
に2006年に再建されたものです。
も う1種類は鼓座の正面先端が“布の折り返し”に成っていない型です。(7組)
画像1:南山寺天王殿
画像2:天王殿の門墩
ここには三組の渦巻型門墩があります。
画像3:習益祖宮の門墩
画像4:威惠廟
画像5:威惠廟の門墩
画像6:頂田正順祖廟
画像7:頂田正順祖廟の門墩
画像8:城隍廟
画像9:城隍廟の門墩
鼓座に草花や霊芝や唐草模様が彫られています。
―――【 なぜ?渦巻が門墩に??】―――
渦巻は中国語では“漩(xuan)”と言います。
道教では天地万物は“玄”から生れ出ると考えられています。
“玄”もxuanと読みます。
渦巻=“漩”=“玄”=“天地万物が生れ出る大変目出度い物”なので門墩に成ったのでしょう。
私の仮説です。
箱子型門墩
箱子型12組の全ては門枕と見間違うほど低い物ばかりで、他の地方で見る背の高い門墩は見当たりませんでした。
画像1:東嶽廟
中央入口には渦巻型がありますが、両側の脇出入り口には箱子型が
設置されています。
画像2:東嶽廟の東脇出入り口の箱子型門墩
正面には鉄拐李仙人の瓢箪が、内側には牡丹と小鳥が彫られています。
画像3:合美社
画像4:合美社の箱子型門墩
正面に仙鹿が彫られています。
画像5:浦頭大廟
画像6:浦頭大廟西側脇出入り口の箱子型門墩
正面に漢紋が、内側と上面に瑞雲頭が彫られています。
東脇出入口にも同型の箱子型門墩が有ります。
画像7:南山寺山門の西脇門の箱子型門墩
漳州市の箱子型門墩は小さいが殆ど吉祥模様が彫られていますが、
このように何も彫られていないのも少しあります。
画像8:伽藍公廟
画像9:市美社境内に収蔵された門墩
画像10:市美社境内に収蔵された右側の門墩の拓本
門 枕
門枕を備えた建物を11軒確認しました。
画像1:伽藍大王廟
画像2:伽藍大王廟の門枕
正面に仙鹿が彫られています。
門枕の殆どは模様の彫刻はありません。このように彫刻された物は珍しい
です。
画像3:仏祖廟
台座を備えた立派なものです。
模様も彫られていますが写真では内容はわかりません。
画像4:大梅樹廟
画像5:姜園亭
画像6:管子頂廟
画像7:土地公姿廟
画像8:東英第一宮
画像9:有応公媽
画像10:慈品岩寺
第2節 漳州市 終