序文3 一日本老人…岩本公夫氏の中国文化への情熱

孔正一

 

西安市小雁塔文物保管所長

中国文物学会理事

陝西省民俗学会副会長


 岩本公夫氏とは西安旧城の開発工事で偶然出会い、民族文化の縁で結ばれた、歳の差・国の違いを越えた交わりの親友です。

 

200110月末の午前、一人の老人が私の事務所の戸を開きたどたどしいが聞き取れる中国語で「孔所長さんですか?」と言い、来意を話しました。

 

この人が岩本公夫氏です。痩せて小柄で利発な優しい老人です。

 

当時は将に西安西大街城区の建物を取壊し西大街拡張工事の最中でした。氏は日本から自費で西安の門礅の撮影・拓本採り・調査に来られたのでした。

 

氏は西大街城区の取壊された邸宅の隅にある門礅を見て、大変嘆かれました。そして西安市文物局を訪ね、資金を出すのでこれらの門礅を収集し保存してほしいと要望されました。文物局の紹介で私の所に来られたのでした。私が民間の文化財の調査や保存に数年たずさわっており、局の中で唯一この事に熱中していることを局の皆が知っていたからです。

 

私は岩本氏の話を聞き、敬服すると同時に驚き・感動し、恥も感じました。一人の外国人が中国の文化財の為に外国から来て我々に我が国の文化財保護を提案しくれているのです。我々はそれを廃棄物・工事のゴミとして捨てている。これは我々の職務怠慢で悲しい事ではないか。私は氏に深く感謝しました。氏はその場で数万円を出し私に渡します。何度も辞退しましたが、氏はその都度趣旨を説明しますので、私は受け取りました。

 

後日それを人民元に換金し、文化財の運搬に使用しました。その数週間、私は私の業務を中断して、職員を率い張旺海公安所長の協力を得て西大街の工事現場に行き門礅・柱礎石その他の文化財約100組を収集しました。民国陝西督軍陳樹番旧宅と五味十字に在る長い歴史を持つ“藻露堂”(漢方薬店)を解体して模様の彫られた練瓦や木製の建材も収集しました。

 

この時の氏の行為と気遣いが私と私の同僚を感動させました。そして我々の責任と失っていたものを自覚しました。それ以来西安に来られるたびに自動車と職員を出し、各地の門礅撮影や拓本採りに協力しました。

 

 

 

岩本氏は1937年日本広島県福山市生。祖父と父は琴制作を家業にしていました。氏は18歳まで郷里で就学し、その後山口大学経済学部を卒業。大阪マツダ販売株式会社に就職。氏は優しく賢明な夫人との幸せな家庭を持ち、一人の娘と二人の息子を持っておられます。

 

 

 

1996年から北京語言学院(現北京語言大学)に留学し、中国語会話入門と書道を学習。その時西安を初めて訪れ、古い歴史文化に深く感動されました。1997年北京石刻芸術博物館で拓本の技術を学ばれました。2001年から古い門礅の撮影・拓本採り・保護のために度々西安に来られました。1998年から2008年の10年間自費で中国の南北・田舎の古い各地に足跡を残されました。自ら約200幅の拓本掛軸を制作し、大量の写真を撮られました。帰国後に「中国門礅」の原稿を完成されました。

 

近日、「中国門礅」は西安の“未来出版社”が国家出版資金を申込み出版されることになったことを知りました。

 

 

 

氏は「門礅は中国の文物だ。祖国での保存が一番良いでしょう。」と言って、門礅拓本掛軸200幅余りを2007年にできた西安博物院に無償で寄贈くださいました。2009年には西安博物院で拓本受領式典と“中国古代門墩拓本展”を開催しました。

 

これらは数年に渡る私の手助けと心遣い・歳の差を越えた友情のお蔭です。

 

 

 

門墩は小さくて、人に見られても好かれない。しかし、門礅は千年以上に亙る中国人の人生の含蓄であり、中国の邸宅建築には欠かせない建築部材です。門礅は門にある中国特有の芸術創造物であり、芸術と実用の結晶物であり、生活と精神・生活と思いの委託・生活と願望・生活と期待の巧みな結合物なのです。

 

 

 

時代の発展と生活様式の変化に伴い、今や門礅はこの中国から姿を消しつつあります。門礅は既に歴史的遺産に成り、中国の邸宅の過去のしるしとして保存資料になりました。“文化遺産は再生できません。”我々が新世紀・新生活に進むに当たって祖先が残してくれた創造物・文化遺産を消滅させてはなりません。

 

                              201311