序文1     日本老人と著書『中国の門礅』

張 維佳

  

政協北京市海淀区委員会副主席

 北京市語文現代化研究会会長

北京語言大学校長助理、教授、博士導師

 

  2014年の盛夏、私が陝北方言調査をしていた時、岩本公夫氏からメールが届きました。彼の著書『中国の門』に序文を書いて欲しいとの依頼でした。岩本氏はここ十数年各地の門を調査研究し、その成果を世に出そうとしているのです。

 

私と彼とは門を通じての知り合いです。私は北京語言大学に来て長くはないのですが、この大学に中国文化狂の日本老留学生が居る事を聞いていました。大学で中国会話と中国絵画を学びながら、北京の胡同を走り回り各地に散在する各型を代表する数十組の門を収集していました。北京老城内の門を撮影した『北京門』を出版していました。大学を去るにあたり収集した40組近くの門を無償で大学に寄贈しました。それは現在大学の“枕石園”に展示されています。当時私はこの日本人の中国文化愛に大変感動しました。

 

201112月、大学の校友会責任者から『岩本氏が『中国の門』を書き上げ中国での出版を希望しています。しかし出版社が見つかりません。彼に力を貸してやって下さい。』との電話が有りました。そこで私は初めて彼と会いました。その時彼はたどたどしい中国語で彼の中国文化への情熱と十数年の門調査研究と中国各地の都市開発に伴う日々の門消滅への慚愧の念を述べ、私に『中国の門』の中国での出版希望を訴えました。『私は既に七十歳を超えています。死ぬ前にこの本の中国での出版を見たいのです。』私は彼の情熱に大変感動しました。そこですぐ西安の未来出版社の陸軍副編集長へ電話し、この本を大いに推薦しました。岩本氏は北京を去るに当たって、『中国の門』の原稿と数百枚の門写真のコピーをくれました。と同時に彼自身が採拓した北京市西城区の或る胡同の門拓本軸をくれました。

 

間もなく出版社から『中国の門』は国家出版署の民間文化保存基金のプロジェクトに選抜推薦されたとの良い返事を受け取りました。201210月岩本氏は西安に行き出版合意書に署名しました。帰国の途中北京に寄り、胡同で門を撮影し、拓本も採りました。そして私と会い話をしました。彼は私に『中国の門』の序文を依頼しました。私はこの時門に対する彼の興味の背景を理解することができました。『貴方が門を調査研究するには度々中国に来られ、大変でしょう。奥さんはこれを支持していますか?』『妻は私を大変よく理解してくれています。しかし、私を支持はしてくれません。門調査研究へのお金は出してくれないのです。』彼はぎこちない中国語でへへと温厚篤実に笑いながら答えました。『この仕事で最も苦労したのはどんな事です?』と聞くと、『門の家の主人の話を聞く事ですネ。家の主人は自家の門の由来を延々と話してくれます。これが聞き取れません。大変残念です。』と言います。彼はこれら門に関する中国民俗の文化的意義の重要性を理解しているのです。しかし彼の語学力では方言などまったく聞き取れないでしょう。又門を拓本に採る作業が老人には大変辛いそうです。一枚の拓本を採るのは数十分で出来ます。しかし拓本を採る前に必要な門の清掃には二時間以上かかるそうです。しかも拓本採りには地面に両膝をついて体をかがめ、かがんでトントントンと叩いて採るのです、七十歳の老人にとっては本当に大変そうです。彼は話しながら私の目の前で、両膝を地に着け腰を曲げ右手で墨油を叩いて、門に張った和紙にそれで少しずつ叩き着け、模様を写し採る動作をして見せてくれました。彼はズボンを見せます。ズボンの膝は少々厚めです。

 

『妻は沢山のズボンと薬をくれます。私が何か問題に遭遇するのを心配してくれているのでしょう。』

 

『この本出版後はどうするつもりですか?』と聞くと、彼は両手を重ね首を曲げ眠った振りをし、たどたどしい中国語で『安心してあの世に行きます。』

 

私は又彼の門文化愛と献身的信条に感動し、涙しました。

 

 以前、『中国の門』の原稿を受け取った時、『明日は“枕石園”の拓本を採ります。』と言い去って行く彼の後姿を見て、私は近年はやっている流行語―中国文化の国際拡大―について思いました。私達はどの様に拡大に努めているのだろう?私達は彼の様に中国文化愛に燃え黙々と中国文化の拡大に努める人を無視してはいけません。

 

(門枕石とも言う)は中国民居建築の重要建築部材です。正門と中門の門柱・敷居・門扉を繋留めています。門の上部の彫刻磚と共に門を美しく飾り、彩絵模様の飾りと対照の妙を成しています。住人の社会的地位や個性を顕示しています。また、千百年来の中国人の価値観・人生観・倫理観・願望を示し、中国社会生活史の変遷を物語っています。従って門は中国の民間物質文化の重要な物で、中華民族の優れた歴史文化遺産なのです。ここ数十年来、現代化と都市開発の進化で中国の伝統的な民居建築も現代的様式に変わり、伝統的建築の部材である門もこの変化の中で随時消滅しつつあります。門保護は現在の都市開発が直面している一つの問題です。

 

 日本の一老人岩本氏の中国門の保護に関する『中国の門』には中国民居文化遺産方面の重要な意義が有るのです。

 

 

 

『中国の門』は以下の特徴を持っています。

 

第一 記載されている門の殆どは著者自身が各地で調査したものです。その範囲は中国20余りの省市地区と海外の一部の国の中国街です。20世紀90年代に調査を始め、20年間中国各地の門分布調査・形式とその文化的背景調査。数千組の門の様式調査・門の寸法採寸や拓本採拓に1000時間かかっています。70歳を過ぎ言葉が通じない外国の老人の各地での調査は大変しんどい作業だったでしょう。

 

書中の門資料は中国の華北・華東・華中・華南・東北・西南・西北等々大変広範囲で、これは中国門文化を研究する好材料です。書中の記述によると氏は門保存の為に家主と掛け合ったり、門を運ぶために自動車運転手に高い運賃を払ったり、長時間地べたにへばり付いて拓本を採ったり、作業中には誤解や嫌がらせにも会った様です。これらは氏の中国民間文化を愛する気持ちで、人々を感動させます。調査に関する記述は本書の重要な部分で一つの特色です。この中に氏の対応や門文化整理の苦労を見、中国民間文化歴史遺産の保存活動の難しさと道の遠さを知らされます。

 

第二 門の型の特徴・地区の差異・内蔵する文化の違いの比較研究がこの本の学術的価値です。本に記載された型や獅子型・抱鼓型・箱子型・門簪型・托日型・渦巻型等の違いを黄河流域・長江流域・東南海岸沿地域毎に比較研究し、地域毎の特徴を把握しています。たとえば丸型門では黄河流域で抱鼓型・長江流域では托日型・東南海岸沿地域では渦巻型と。著者は北京の各地で “門は好き勝手に設置してはならない。”“門は住人の社会的地位を表している。”と聞きました。では“どんな門住人のどんな社会的地位や身分を表しているのか。”疑問を持ちました。そこで1998年に北京の6,100余組の門礅を観察した上で一つの仮説を建てました。 “獅子型は皇族を・獅子が蹲踞した抱鼓型は高級武官を・獣吻頭を備えた抱鼓型は武官を・獅子が蹲踞した箱子型は高級文官を・吉祥模様を彫られた箱子型門は文官を・吉祥模様が彫られていない箱子型門は大富豪を・門枕石は富豪を・門枕木は平民を示している。”

 

この仮説について専門家との意見交換を期待しました。しかし専門家からの意見は無く、世間では仮説が一人歩きしてしまいました。

 

に彫られた模様は大変多くの寓意を含んでいます。多くの場合人々の願望を表しています。著者はいろんな角度から写真に撮ったり拓本に採りその模様が持つ伝統的な意味を解読しています。例えば“九世同居”=一族仲良く繁栄 ・“福在眼前”=幸せは目の前に来ている ・“事事如意”=何事も思い通りに成る ・”翎頂如意“=地位がトップに成れる ・”五福捧寿“=健康で裕福な長寿 ・“封侯掛印”=城主に出世する ・“六合同春”=天下泰平 ・“三陽開泰”=一切の事は良い方に進む ・“一路連科”=科挙試験で一気に首席に成る ・“白猿偸桃”=長寿 ・“連生貴子”=立派な男子供に恵まれる ・“福寿三多”=福と長寿と子孫に恵まれる ・“子孫繁栄”・“歳々平安”・“吉慶如意”等々。

 

は何時何処で発生したの?どの様な変遷をたどったの?長江河口周辺にはなぜ門は少ないの?こうした問題が常に著者の脳裏に在ります。本の中には美しい門礅が随所にあり、著者は一つ一つの門にこうした疑問を投げかけています。著者はこれらの疑問に答えを出そうと努力しています。今の所、得られた答えはまだ検討する必要があります。しかしこうした研究心は十分認められるべきでしょう。

 

第三 書中の門は立体的で、全角度を写しています。門の所在地図は調査の基礎資料です。著者は調査した所では門所在地図を書いています。収集した門は何処に在ったのかを示し、75枚の地図を作り、『中国の門』付録1所在地図としています。各地での調査に当たり著者は門の撮影角度に気配りし、ほとんど全ての門全体の状況と門各面の模様を写真に撮っています。門の模様の撮影のために著者は何度も訪れたり、拓本採りの苦労もしています。それは『中国の門』付録2拓本集に成っています。これだけでなく著者は門の具体性を重視し実物を収集したり寸法を測ったりしています。それは『中国の門』付録3採寸門集に成っています。また門の調査研究において、著者は昔から受け継がれ現存している門礅だけでなく、文献資料を調べ地中から出土した建造物や門礅も調べて、現在の様な門礅は北斉(550577年)に発生していると『中国の門』付録4の発生・各地の門に記載しています。

 

『中国の門』と四冊の付録にはそれらの写真を乗せた六枚のCDが付けられています。これらは全て『中国の門』の重要な構成部分で、本文の参照資料です。そして後世の門発掘や保存の重要な参考資料なのです。

 

最後に私が強調したいのは、この喜寿の日本老人の中国民間文物への執着と門保護の気持ちの強烈さは人々を感動させずにはおきません。この本の原稿を読んでそれぞれ形の違う門の外に、私の目に浮かぶのは勤勉で温厚篤実で粘り強い岩本公夫氏です。一介の外国人が異国の民間歴史的文物の整理と保護に二十年近い時間をかけ、その調査の足跡は中国各地におよび、この間受けた苦労は常人の思い及ばない物でしょう。調査に際しては事の分からない人から受けた苦労や門所有者とのやり取り、拓本採りの苦労、母校北京語言大学と西安博物院への門・拓本の寄贈等々。

 

 “門は中国にしかない文化遺産です。後世の人類に残し伝えるべき人類の遺産です。門保護は火急の問題です。”と彼は大声で叫んでいます。これが中国文化に強い関心と深い愛情を持つ日本老人なのです。

 

は中國の歴史的記憶なのです。“小伴墩儿,坐門墩儿,哭着喊着要媳婦儿……”“根哽梗,上門墩儿,門墩儿高,要刀搶。割韭菜,韭菜辣,……”(童謡)門は中國人各自の子供の頃の記憶物です。そして今の浮世の庶民の郷愁です。『中国の門』は疑いなく私たちの過去の追憶を思い起こさせるでしょう。

 

  

2014831

於北京五道口篤行簃